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今夏を振り返る ーその3−

 今夏の締めくくり、娘の研究の宿題に使った写真。我が家の庭に生えている植物の葉っぱを観察するという趣旨。
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 プリントして繋げると庭のパノラマになる。(姉ちゃん、懐かしいだろ、是非やってね)



 宿題も済み、ジィちゃん(先代工房主)の命日の墓参に出かけ、夏休みの終わり。
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 こんな夏(後半)でした。
by t-h-arch | 2009-08-31 23:59 | 日常

今夏を振り返る ーその2−

 お盆には富山のおバァさんが来ていたので、少しにぎやか。弟子2号が喋りに来て、おバアさんの手みやげのお茶菓子もあることだし抹茶でも飲もうかということになる。
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 お菓子は北陸が生んだ銘菓のひとつ「夜の梅」と黄色いのはこれもおバアさんが持ってきた(名前ド忘れ)。菓子器は土岐の伊藤慶二さんの白とケベックのルイーズ・デュセ・サイトウさんの灰色。
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 メインの茶碗は富山バアちゃんの好きな伊藤慶二さんの白磁。
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 左の青に円模様も伊藤さん作、この間伊藤さんの奥様から頂戴した。サブ茶碗は紫が先日亡くなった瀬戸の加藤元男さん、粉引が鯉江良二さんか。
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 女性は皆(娘を除く)お茶を習っている人ばかりだが、点てるのは僕、僕の分も誰も点てて呉れないので自服で飲む。魔法瓶から湯を注ぎあぐらで点てる誠に非礼な手前。
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 黄色いお菓子は娘に大ウケで大切そうにチビチビ食べる。
 
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 子供は寝てしまったが、女性達のお喋りは止みそうにない。庶民的な「細雪」をしばし傍観するも、退屈して先に子供と休む。
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(注意力のあるひとはお気づきだろうが、抹茶を飲む前には紅茶で洋菓子を食べていた形跡が一枚目写真から見て取れる。さらに「細雪」のシーンでは抹茶はすっかり片付けられ、おせんべや駄菓子を喰ってジュースを飲んでいる、深夜に近いというのに素晴らしい食欲に感心する。)


 先日の川遊びが大層楽しかったようで、夏休み中にもう一度は!という希望が多く、また川へ出かける。今回は僕が子供の頃毎日していた「ジャガイモ焼き」をする。(焚き火をしてジャガイモを放り込んでおくだけ)
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 川縁の葦の枯れたのと流木で結構な焚き火が出来る。
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 今回は坊主も少し度胸がついて、水面ぎりぎりの石にのって遊んでいた。
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 水面下から出てきたトドに怯える娘と、ただただ立ち尽くし、なす術の無い坊主の図。
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 遊んだ後の焼きジャガイモは最高、塩を忘れたがそのままでも充分おいしかった。
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 ご近所さんがやってきて、日が傾くまで遊び続ける子供。
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 この日も帰って漁の成果を食べ川遊びを満喫した一日だった。
   ーその3に続くー
by t-h-arch | 2009-08-31 23:55 | 日常

今夏を振り返る

 夏の途中から日記が滞り「飽きた?」との指摘もしばしば。八月末日付で日記の書き溜めと言うと小学生みたいだが、まさにそれと同じく今夏を振り返ってみる。(フォークジャンボリー参加後)

 僕が住む付知(つけち)という地区の夏の風物詩の一つが花火大会。V字渓谷で上がる花火は、色形以上に山に響き渡る音が何とも風情があって良い。(音までは載せられないが)
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 今年のラストは単色(黄色系)の連発。これで終わりというところが判りやすいエンディングだった。付知の花火は許可の関係で近隣では一番大きな花火が上がる。打ち上げ場所を移動してないので昔のままの許可が下りているのだが、これを続ける為にも事故の無いようにと願う。

 花火大会に続いて付知の夏祭り「つけち夢まつり」があった。僕は商工会の地区理事なので、毎年鮎を焼いたり、オークションの手伝いをしたりしている。鮎は付知の某鐵工所製の串打した鮎を上手い具合に立てて焼ける焼き台を使い、炭火で焼くので非常に美味しく、売れ具合も毎年素晴らしい。
「付知峡の水」と銘打った水飲み場は昔ながらの「井戸舟」(「いどぶね」、松丸太を刳り貫いた深い流しで、通常井戸の辺りに置かれ、山水を引いて常時流れるようにしてある)に樋から水が流れるようにしてあり、柄杓で飲む水や、舟に冷やしてある無料のトマトは炎天下のイベント会場でほっとできる場所を演出してくれる。
 ステージでは各種イベントが行われるが、今年は近所の材木屋さんの息子がフュージョンバンドのドラマーとして登場するという。その息子「ヒデくん」はその昔、まだ小学生の頃、これもまた近所の理髪店主に誘われ我が工房のジャズコンサートにやってきた。ドラムにとても興味があると聞いたから誘って連れてきたというのが理髪店主の言い方だった。じっと若手ドラマーを見ていたヒデくんだったが、コンサート終了後ドラマーのところへ行き「ドラム叩かせて下さい」と言った。ドラマーは快くスティックを渡し、ヒデくんは4ビートを叩き続けていた。そのうちに酔っぱらったオジさんピアニストがコードを付け始め、ベースが入り、ギターが入りして訳の分からないセッションになり楽器を持たないものは酒瓶を叩き奇声を上げ、皆大笑いで居る中、ニコニコしながら汗をかいてドラムを叩き続けるヒデくんはとても印象的だった。
 ヒデくんたちはオリジナルを含め何曲かを演奏した。若い、一番うるさい時期のドラムが僕にとって心地よく響いたのはヒデくんに対するシンパジーがあるから以外の何ものでも無い。いっちょまえに上等なスネアなんか持っちゃってるの図。
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 翌日は、予てよりお盆休み中にオヤジが川遊びに連れて行かないと、暴動が起きるとヨメ、バァさんに言われていたので、知り合いの川遊び未経験のお子さんも誘い、家の下の河原へ出かける。

 川をゆっくり下るのにハマっている娘。
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 おやつは今年に入って我が工房で密かなブームの「ヤクルトラーメン」。固形燃料ストーブでお手軽クッキン。
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 しょっぱいのは美味いんだね、特に川遊び中は。
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 そしてまた川下りへ向かう。
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 かたや、まだ水がコワい坊主は、ひとりでコツコツと砂遊び。これも体力が要るらしく、ラーメンは大量に喰っていた。
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 根気よく日焼け放題でひたすら砂遊び。
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 僕はラーメンを作って、適当に水泳コーチをしつつ、たまに小さい魚を捕りつつ、一杯。
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 夕方まで遊びに遊び、迎えに来たお母さんと涼みにやってきたオバアちゃんたちが加わり、夕方のお茶。

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 名残惜しくも川を後に、家に戻って本日の漁の上がりを素揚げにして食らう。残ってるのは「ヨシノボリ」、食べてしまって無いのは違う種類の魚(どじょう?)。      ーその2に続くー
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by t-h-arch | 2009-08-31 23:40 | 日常

09椛の湖フォークジャンボリー その3

 前日は本業の建前最終日、疲れが溜まって8/1の朝はすっかり寝過ごしてしまった。準備や最終の会合に出られなかった後ろめたさも重なり出発は延びる。雨も激しく、現地での居心地の悪さを想像してネガになっていると同行する弟子2号から電話がかかり「行きますよ!」と言われようやく出発した時はもう午后になっていた。雨だから椅子と傘が要るなぁなどと思い少し準備はしたが、毎度のフェス準備とは大違いに消極的だった。

 椛の湖までは峠を越えて山道を行く。
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 途中、フィールドフォークの主会場だった「新盛座(しんもりざ)」跡地横を通り過ぎる。子供の頃ここへ来る時は、父親が気を抜いている時間ということもあり得も言われぬ幸福な気持ちでいたことを思い出した。いまはゲートボール場になっている。
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 椛の湖に着くと、雨の中なのに会場は相応の盛り上がり。受付には実行委員の面々が並んでいる。準備への不参加を詫びるとやさしく答えてくれた。実行委員長にも詫びを入れ、今日の役目を聞くと、「会場警備にしてあるけど、何も無かったらいいから見ててくれれば」との返事。
 雨を避け、テント席に入りしばし眺める。観客は雨が降っても我関せずといった感じ。
 メインステージはこんな風。
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 雨も小やみになり、少し会場内をうろうろする。足下は69年並みにぬかるみ、消極的準備ながら履いていったgoliteのsundragonでは水が滲みそうだ。場慣れして落ち着いてくるとお腹が減り、好辛倶楽部(こうしんくらぶ=地元産の唐辛子「あじめこしょう」を売り出している団体)の屋台に行く。この倶楽部の親玉は安保洋勝(あぼひろかつ)さんと言い、フォークジャンボリーの創設メンバーの一人。屋台周辺には69年当時から関わっていたメンバーがうようよしていて挨拶に忙しい。屋台で「あじめこしょうカレー」と「あじめこしょううどん」を食べる。
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 このカレーは地域のイベントでたまたま食べたことがあった。あまりに僕の好みにぴったりなので安保兄さんに市販してくれるよう頼んでいたが、今回のジャンボリーに合わせレトルトパックが市販されたとのこと、早速購入する。肉が入らない野菜カレーだが辛くて旨い。汗が吹き出る。
 うどんは麺にあじめこしょうが練り込んである、唐辛子には味があるのでなんとなく風味がして旨い。これはあまり辛くない。
 食べている横をなぎら健壱が、あがた森魚が歩いていく(写真無し)。屋台隣のサブステージでは若いフォークシンガーが歌っている。サブのお客はサブで盛り上がっていて、さしずめ当時の吉田拓郎といったところか。お腹がふくらんだところで、やっと本当に落ち着いた感じ。

 土砂降りのステージ上は中川五郎、ノリノリのダンサーがステージ下に居て盛り上げていた。アリーナ(?)観客は相変わらず動揺もせず山の如し。
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 雨が上がったので、メインステージ正面の土手の一番上に登る。椅子がつらくなったので件の屋台で切り売りしていた農業用ビニールシートをガメてきて土手に敷き、椅子を枕に寝転んでPAからの音楽を聞く。
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 弟子2号は「この曲は昔、お父さんが聞いてました!」などとミもフタも無いことを言う。「学生街の喫茶店」や「遠い世界に」などは今聞いても良い曲だなぁと思う。「サルビアの花」を2人が歌ったのも印象的だった。

 一番楽しみにしていたのがエンケンこと遠藤賢司。「夜汽車のブルース」や「夢よ叫べ」を生で聞くのは本当に久しぶり、アクションも楽しみだったが、ステージから遠く、それもまたよしと写真も撮らず木の枝の隙間からステージの方を見つつ聞き入る。m.cでエンケンが「ちゃんとする」というような意味のことを喋る。丁度前日、上棟を済ませた弟子2号と同じようなことを話したので思わず顔を見合わせる。やっぱりエンケンが言った方が説得力があるなー。
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 トリ、大トリの「土着民」「我夢土下座」「笠木透」の頃にまた土砂降り。中津川駅への最終シャトルの時間もあってエンディングは騒然としていた。地元アマチュアの各グループは時間も切られ1曲づつだったが、楽しそうだった。また自分たちの手でジャンボリーを作ることが出来た喜びは、彼らにしか味わえないことだったであろう。
 打ち上げに出るよう言われていたが、疲れもあって早々に会場を後にする。帰り道、子供の頃の僕はいつもハシャギ過ぎて寝てしまっていたが、たまに起きている時、(これがコンサートの帰りだなぁ)と、何となくだが満ち足りた思いで暗い山道を帰ったことを思い出し、子供を連れてくるんだったと少し後悔した。


 会場の一角に「ジャンボリー資料館」というコーナーが設置されていて、当時の写真や資料などが公開されていた。
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 父親の友人達が「謙ちゃんの写真があるぞ!」と皆で言うので見に行くと69年のところにまだおバカな頃の親父が写真に写っていた。
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 写真中央右寄り、白いシャツで目を瞑ってしまっているのが先代杣工房主人。右手指にはしっかりと両切りピースを挟み、そしてその左手に引かれて困惑の表情を浮かべているのが、3才の僕。
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by t-h-arch | 2009-08-04 23:40 | 音楽

09椛の湖フォークジャンボリー その2

 実行委員会にでてみたモノの、発言の余地も無く、聞いていてもワカラナイことばかり。ジッと観察して自分なりに役に立てることを探そうと思い、幾度か夜の会合に出席する。
 同窓会的に盛り上がるひと、お祭り好きな楽しいひと、フォークソング大好きなひと。色々なひとがそれぞれに考えを言う中で、実行委員長でもある某酒蔵主はしきりと「次に伝える、、」ということを口にされる。見れば「ジャンボリーって???」位の年代のひとも席には混じっている。
 お年寄り連の盛り上がりと若い世代に続きを求めることには大きなギャップを感じるのだが、若い人もオヤジ(もしくはジジィ)の盛り上がりが移るのか、多少の興奮は伝わってくる。ああ、これはオッサン達が盛り上がってみせることを次の世代に見せるだけでいいんだなと妙に納得してしまった。
 ある小難しいことばかり言うオトコにジャンボリーの話をしたら、「昔、『オトナなんて信用するな』とか言ってたひとが、いいオトナになって何をどう歌うのか興味がある」と言う。それはそうだがみんな若い時はおバカなのだよ、続けて歌ってるだけでたいしたもんだよと思ったが、説教されるのがヤで黙っておいた。
 そもそも、うちの父親とかも当時かなりのおバカで、小難しいことを皆でワイワイギロンしながらやっていたが、結局はお祭りがしたかっただけなのだと思う。
 フォークジャンボリーが終わってしまい父親達はフィールドフォークと呼ばれた小さなコンサートやフィールドワークを続けていた。第1回の会場は杣工房加工室、生活歌としてのフォークやブルーグラス、高橋竹山の津軽三味線や、ウニャ・ラモスのケーナ、父親の友人谷川俊太郎の詩にメロディを付けての発表会などは今でも新鮮に心に残っている。フィールドフォークは主会場となっていた山奥の旧い芝居小屋が漏電火事で無くなってしまい、それから徐々になくなってしまったが、「椛の湖ピクニック」という野外コンサートは幾度かあったし、地元のフォークグループ「土着民」は自分たちの小屋「鼓土里座(ことりざ)」を自分たちで造りコンサートをしている。先の実行委員長、某酒蔵主も自社の酒蔵を舞台に「さんさ酒の会」という音楽イベントを定期的に行っておられる。僕がよく知らなかっただけで皆さんそれぞれに続けてこられたことは凄いことだなぁと改めて感心した。 そう考えると父親=先代杣工房当主も木工が忙しく、また楽しくなってしまい当時の音楽仲間からは遠ざかってはいたが、晩年の10数年、ジャズやギター、フルート、時には演歌、打楽器と色々な音楽のコンサートを工房で行っていた。現在僕が続けている「かいがしコンサート」もただそれの延長に過ぎないのだった。
 続けている姿を見せることで伝えることが少しでも出来るのであれば、実行委員長の思いにつながるなぁと思っているうちに段々とチケットを売りつける言葉にもインチキくささが無くなってきた。(ように思う、、だけ?、、)

 さて、そうしているうちに我が事務所の請け負っている工事が上棟を迎えた。世話役は最年少の弟子2号、天候は悪いし段取りは狂いまくりの焦りまくり。 ジャンボリー会場のサブステージの建設は先の「土着民」メンバーの大棟梁さんが親方で僕も大工の端くれとしてそれ位は参加すると約束し日程も空けておいたのだが、天候の関係でサブステージの建前が前倒しとなり、更に本業の残業で最終委員会も欠席したまま、ジャンボリー当日を迎えてしまったのだった。  
                                ーーーその3に続くーーー
by t-h-arch | 2009-08-03 23:50 | 音楽

09椛の湖フォークジャンボリー その1

 
 全日本フォークジャンボリーが隣町の「椛の湖」(はなのこ)で行われたのが40年前。僕は3歳だったが父親に連れられ、ぬかるんだ会場を右往左往したのを憶えている。
 今年の始め、隣町の造り酒屋の御当主からフォークジャンボリーをまたやるから実行委員会に入るようハガキが届いた。40年前、僕の父親はフォークジャンボリーを作る側に居て、仲間達と侃々諤々若い議論を繰り返し、無謀に近い前向きさで日々を過ごしていた。自宅はベルボトムのジーンズやチューリップハットやスマイルマークのついたTシャツの人たちが出入りし、僕の廻りは一種異様な雰囲気ではあった。音楽は常に鳴っていたし、ファッションや議論、イベント独特の興奮に満ちた空気は刺激的で、僕はそれらにその後十数年間どれだけの影響を受けたか判らない。父親が亡くなった時、当時の仲間だった人たちが皆駆けつけてくれたことも僕にとっては意外であり、だからこそ嬉しくもあった。
 そんなことから少し場違いではあるが、今回の仲間に加えて頂こうと実行委員会に出席したのだった。  ーーーその2へ続くーーー

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by t-h-arch | 2009-08-01 23:30 | 音楽