カテゴリ:木工( 78 )

黒田征太郎と杣工房 その3

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 「SWITCHやcoyoteという雑誌を出している新井さんという方が工房を訪ねるから、件の「木のオモチャ」を見せてくれないか」という電話が黒田征太郎さんからあった。
 了解しましたと返事をし、電話が切れると5分もしないうちにまた電話が鳴り、「オレも付知へ行くよ」と言われる。

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 当時オモチャを丁寧に梱包して呉れたのは絵描きが終了した時に同行してくれていたK2大阪のスタッフさん。そのオモチャ達を倉庫から掘り出し、工房に並べて新井さん、黒田さんを待つことにした。

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お二人を迎えてまずは中津川・「すや西木」へ、久しぶりの襖絵を眺めて頂いてから甘味処「榧」へ、外出されていた「すや」社長も急遽戻って来て下さり甘味をご馳走して頂いた。
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 黒田さんが付知に来られるのは先代の急な、慌ただしい葬儀以来。
 昔付知に訪れた際の道すがらの景色の思い出などを話しながら工房へ着く。

 
 オモチャを眺め、新井さんにコトの起こりを説明しながら、新しく作っておいた木片に絵を描く黒田さん。
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 先代が猫可愛がりしていた僕の娘に10数年前に下さったネコのオモチャに、新たに絵を描き加える。
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新井さんは作業をずっと眺めていらしたが、顛末を知り、実際の製作を見て、いつかこのオモチャをまた新たに作り、紙面で連載しようと持ちかけてくださった。


 休憩してお茶を飲みながら話題が弟子に向いたので、盆を彫っているのだがまだまだで、と失敗した盆をみせると、「これに、描いてもいいですか?」と言われる。
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小さなライブ・ペイントは最後に先代の肖像になり、弟子は感無量な様子、見学に来ていた僕の若い友人達にもこのライブ・ペイントは何かを与えたようで、完成と同時に溜息が聞こえた。
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 杣工房の川東展示室「かいがし」にも案内し、旧い先代の作品や個展の看板を黒田さんが書いて下さったものを懐かしく見てもらった。 
 「かいがし」を出る時、真直ぐ僕を見て「泰輔、ここを作ってくれてありがとう、謙之輔さんに替わって礼を言うよ」と言われる。ああ、そういう関係だったな2人は、と改めて思い出した、黒田さんのその他人行儀さがとても快適に感じられた。
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 夜は「とこわか」で、常温の「三千櫻」を皆コップで呑み、昔話から最近のドラマー中村達也氏とのライブ・ペイントの話しなどを伺う。黒田さんはご機嫌で、しきりに「泰輔、紹介してやるから「吉本新喜劇」に行け!」と言われる。
 話しは尽きず閉店時間を大幅に廻ってから時間に気付いたが、「とこわか」主人は、昔から「とこわか」の母体の旅館「上見屋」の門限破りの常連・黒田さんのことをよく知っていて、にこにこ笑って見ていてくれた。
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 翌朝、黒田さん来訪を知って幾人かの来客もあり、慌ただしくも楽しい時間を過ごし、黒田さんをお見送りする。
 また、ひさしぶりに黒田さんとの時間が動き出した感じがする、先代からのお付き合いに新しいことが加わるのはとても嬉しい。
 新井さん、伊原さん、そして黒田さん、ありがとうございます!

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by t-h-arch | 2015-05-18 14:45 | 木工

黒田征太郎と杣工房 その2

 僕が小さい頃、我が家を訪れる黒田征太郎さんは、その風貌とは反して「紳士」だった。
子供に対してもほぼ敬語に近い言葉で自分の仕事のことまでも話して呉れ、何に関しても礼儀が正しく、小さなことを気にしなかった。
 黒田さんがテレビ・コマーシャルに出演しているのを見た時に、何かしら違和感の様なものを感じたので、次に会った時にどうしてテレビに出たの?と聞いてみたら、「あるひとがしたいことがあって、その為にお金が必要だったんです、テレビに出ると恥ずかしいけどその恥ずかしさの分だけたくさんお金が貰えるんです」と返事されて大いに納得した憶えがある。

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 小学校の夏休みの工作で作った新幹線の絵の入った稚拙な額縁を黒田さんが見つけ、手放しに褒めて呉れた。黒田さんは絵描きなのにと謙遜すると「僕は絵を描いて食べてますが、きっと謙之輔さんは僕が描いた絵なんかよりずっと泰輔の絵の方がうれしいんだよ、僕は食べる為に色々と考えて絵を描いているけど、泰輔達子供は自分の描きたいものを自然に描く、親にとってはそれが最高の絵でそれ以外は要らないくらいなんだ、僕は子供が最大のライバルです、もっと絵を描くことがうまくなって、子供の絵のような絵を描きたい、いや描けないなら何が出来るかを考えます」と真剣に言われた。その言葉もとても「確からしい」言葉だった。

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 先代が東京で個展をする時には、黒田さんは相棒の長友啓典さんと花を届けて下さり、会場に脚を運んで呉れ、父親を褒める言葉をかけて呉れた。 東京での黒田さんは「業界のひと」だったが、話しかけてくれる口調はいつものままで、慣れない街に居る僕にとっては救いのような気がした。

 大学に入り東京へ出ると、黒田さんは先代に僕に遊びにくるよう伝えて呉れ、繁華街にある事務所にお邪魔するようになった。黒田さんは居たり居なかったりだったが、居ればやっている仕事の説明をしてくれ、僕が建築を勉強していたので、壁画の話しやコンストラクションの仕事の進め方の話しをしてくれた。酒を少し飲むこともあり、著名人がふらっと寄られたり、目の前で仕事が決まったり、刺激的なことを多く見聞きした。

 ある日曜に都内の通りを歩いていたら偶然黒田さんにお会いした。お互い買い物をしていたので、何を買ったの?などと話して別れようとしたら、黒田さんが思いついたように「泰輔、仕事手伝わない?」と言って呉れた。「事務所に電話してくれたら判るようにしておくから」と言われ、そのように現場に向かい、手描きポスターやショウ・ウインドウのディスプレイなどの助手や雑用をした。

 最初の手描きポスターの仕事は墨のひとふでで黒田さんが描いたものを墨が乾いたあとでクレヨンで色や模様を描いていくというもので、狭いスタジオで墨描きされたポスターを乾かす為に拡げ、他の利用者さんに平謝りしながらも図々しくよそのスペースにも拡げ、乾きのよいものから集めて色入れの準備をし、色が入ったものを養生するといった工程、用紙の引きが遅いとギロっと睨まれ、早く引き過ぎると睨まれ、乾きが間に合わず手が空くと「完全に乾いてなくてもいいんだよ!」と叱られ、閉鎖されたスタジオの中でどれだけ時間が経ったのかも判らないくらいだった。片付けが済んで、事務所に寄ると手描きの絵が描かれた封筒を渡され、中にはアルバイト賃が入っていた。

 ディスプレイの仕事ではショウ・ウインドウに何も入らない額縁を乱雑に撒けと言われたのをどう撒いたらいいのか判らずぐずぐずしていたら突然外部のディレクターチェアに座っていたはずの黒田さんがウインドウ内に現れウインドウを壊すくらいの勢いで額縁を撒き始めた。額縁のガラスが割れ、黒田さんは足にけがをされたが時々止まってはものすごく考えながら額縁を撒き続けた。

 銀行の全国の支店のポスターを手描きするという仕事では黒田さんと長友さんの事務所「K2」のOBの方も応援にいらして、沢田としきさん、村上みどりさんなどと知り合うことが出来た。手描きにも多少慣れ少しは気遣いが出来るかもとK2の芦川さんと2人で色々と工夫をしながら幾日かを手伝ったが相変わらず何かをしては睨まれ、気を遣っては失敗してばかりだった。

 その仕事の後、村上さんが篠原勝之さんの工場に連れていって呉れ、篠原さんの手伝いもさせて頂いた。
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 「クマさん」こと篠原さんはそれは親切に僕をを連れ回してくれて、冗談ぽく「うちにこねぇか」と言われたり、ダッジ・バンの大きいのを買われる時「おめぇ、これを運転出来るか?」などと聞いてくれていた。

 僕は大学の4年生で卒業制作を手がけていた。ちょうどその頃、名古屋駅に大手物販店が東急ハンズのような店舗を開店し、その杮落しの展示に黒田さんがエッチングの個展をすることになり、その版画の額縁を杣工房が引き受けた。額縁の製作の依頼に付知に来られた黒田さんを先代は遠縁の旧家の解体現場に誘い、その解体された廃材となる木で何点にも及ぶ版画の額縁を作ることを提案し黒田さんも賛成し工房のメンバー総掛かりで荒々しい額を作った。黒田さんはその額をとても気に入って呉れ、作品の売り方にもデリケイトな考慮をして下さった。僕も便乗して卒業制作のタイトル図面の額を同じ材で先代に作って貰った。

 卒業制作も終わり、僕は広告関係の就職先をいくつか内定頂いていたが、諸々の事情で京都の工務店に就職することになった。黒田さんにその由を伝えると「泰輔はクマさんとこに行くんじゃなかったの?」と言われ、気にかけて下さっていたことに気付き失礼な自分が悲しかった。黒田さんや篠原さんに対しては半ば逃げるような気持ちで京都へ移り住んだ。

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 京都で仕事に就いて幾月か経った頃、職場の上司に「クロセイさんがライブ・ペイントをするから行かないか」と誘ってもらった。黒田さんとのことは上司に話をしていたので気を遣ってくれたのかもしれない、仕事が終わり大急ぎで大津の会場に入り、既に始まっていたライブ・ペイントを見ていたら、環境の変化や仕事社会の厳しさにへこたれていた自分の中で、何かが浄化されるような気持ちになり嬉しかったのを憶えている。   
 ライブが終わり会場から出ようとしていたらステージ袖から黒田さんが出て来られ「自分!!泰輔!来てたの判ってたよ!」と声を掛けて呉れた。上司を紹介し、連れて来て貰った由を話し、黒田さんにも大阪の事務所へ遊びに来いと言って頂いた。


 大工の小僧の期間があっというまに終わる頃、たまたま帰郷すると先代が「レリーフを彫りたい」と言った。 「頼まれている百貨店での個展に、竹取物語か不思議の国のアリスのような童話をスライド・ショーのような何枚かの平面彫刻にして出したい」とのことだった。
「絵は黒田さんが描いてくれる、お前は板に合わせてどの場面を何枚の絵にするか決めて、黒田さんに提示するコンテを作ってくれ」と言われ、コンテを書いて黒田さんに送った、制作の過程が気になったので、しばしば付知に帰り、少し手伝ったり展示方法を話し合ったりした。
 名古屋での個展には僕の親方も出向いて呉れ、おかしなレリーフを眺め、百貨店の重役方に先代をプッシュして呉れた。

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 アリスのレリーフもまた「どこかの公園のベンチにでもしたいですねぇ、、」などと話したきりで梱包されて倉庫に仕舞われることになった。





 その後、中津川の老菓子舗「すや」の支店を建てたときも、黒田さんに売場と勘定場を仕切る大襖に、栗の木の絵を描いて頂いた。

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 「すや」竣工後も色々と大工事の片付けや後の仕舞いがあって、一、二年は工房がバタバタしていただろうか、それが落ち着いた頃に黒田さんは日本を離れアメリカに行ってしまっていた。


     ---続く---
by t-h-arch | 2015-04-25 22:47 | 木工

黒田征太郎と杣工房 その1

 イラストレイター・黒田征太郎さんは杣工房先代の友人。
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 2人の付き合いのきっかけは、黒田さんが司会を務めるテレビ番組に先代が出演し、黒田さんに「付知に遊びに来て下さい」と言ったら翌日黒田さんが付知まで来て下さったことからだと聞いた。
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 その後、先代の個展パンフレットの絵を描いて頂いたり、黒田さんの個展の絵の額を杣工房で作らせて頂いたり、大阪ミナミのビルに廃材の人形を2人でくくり付けたり、常に黒田さんは楽しい場所に先代を連れ出して下さり、また先代は黒田さんの誘いや頼みを断ることは一度も無かった。

 その後、黒田さんはアメリカに住まれ、ハガキに絵を描いたものが工房宛に届くようになった。文章はあまり無く、届いた絵は立体を意識したような風合いのものだった。 
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 2001/9/11にいわゆる「同時多発テロ」がアメリカで起きた時には、その模様や感じたままをハガキに描いて送って呉れ、ハガキはほぼ毎日、数十枚に及び、そのうちにコラージュを施したものやツイン・タワーをモチーフにしたものにはアメリカの郵便局員が消印で参加するようになり、僕らを驚かせたりもした。
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 ハガキの絵は段々と通常の立体を意識させる絵に戻っていったのだが、黒田さんの無言の問いかけに答える形だったのか、先代はイラストを木片に切り抜いて貯め込むようになった。
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 黒田さんはある年の夏に付知にみえて、半ズボン・裸足で木片に色を付け、絵を描いた。
様子を見に訪れるゲストが幾人か居たり、写真を撮って下さるカメラマンが同行されたり、数回数日をかけて黒田さんは絵を描き、先代や僕らは自分の仕事をし、一緒に休憩し、飯を食べ、話をした。
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 黒田さんと先代はこの「木のおもちゃ」を「どこかへだしたいなぁ、、」などと言ってはいたがそれほどの執着も見せず、いつしか倉庫にしまわれてしまい、そうしているうちに杣工房先代は亡くなり、黒田さんと出会う度に「あのおもちゃを気にしてるよ」という気持ちだけを確認し合うことになった。

        ---つづく---



 
by t-h-arch | 2015-04-23 23:34 | 木工

「柴田印刷」について。

 木版画をやっている女性が、工房を訪ねたいとのことでお迎えした。
 ひとことで「版画」と言っても多様だから、話を伺ってみると彼女の版画は「西洋木版画」のことだった。

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 「西洋木版」と言われているのは木の木口を版面に使った、昔の挿絵用の版木と理解している。
 昔、J.テニエルやM.C.エッシャーをイメージして細かな木版を彫ろうとしたことがあったが、残念ながら知識不足で普通の柾目板を使い細めの彫刻刀で彫ったので、当然のように挫折してしまった。
 その後、父に教わり木口を使った細かい図柄の版木を見ることがあり、エッチングの技法に似た彫り方をすることも知った。

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 版木には固く目の詰まった樹種、黄楊(つげ)を使うそうだ。 分類上、高木と言われてもそんなに大きな黄楊の木は見たことが無く、木口の面積は木の太さに準じるから、版木の大きさは限られる。大きなものを刷るには集成材を拵えて使うようだが、同じ黄楊を材に使う根付(ねつけ)よりも材積を食う割に仕入が難しそうだ。

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 彫る工具はエッチングのニードルとは少し違うビュラン(Burin)を使う、僕も彫刻刀の柄を長いもので据え、先っぽを胸のあたりで押しながら刃先に近い部分をコントロールして彫る癖があるが、ビュランはそのように両手を使い彫る。

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 さて、この木版画家・柴田さんは、当工房を訪ね、以前からの知己であった弟子宅に一泊し、同年輩の仲間達と痛飲しながら語る中で、自身を「印刷屋」と位置づけし木口木版を続けようと思い立ったらしい、帰京された日に来房のお礼の電話で「柴田印刷」として版画を刷る由ご挨拶があった。

 そもそもが活字とは別に、挿絵を印刷する為にあった木口木版を、これからどう使って貰うのかを考えるのは楽しい、印章や家紋などはもちろん、名刺や蔵書カード、小さな紙片に印刷を施したい時にそれに特別な価値を加えたいのなら、木口木版画はぴったりだと思う。
 木口木版の印刷にはそれなりの技術が必要だから印刷までを請け負うも良し、少し器用な人であれば自身での印刷も可能だから版木を渡して刷って貰うのも良し、体験会などを開けばさらに楽しいのではないだろうか。

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 この小さな画を刷って、何分の何枚とナンバリングをし、額に入れて展示し作品として売るのもいいだろう。
 だが、最初にこの技法から生まれたものを見た時、何か心を動かされてそれに向かったとしたら、それはもしかしたらこの技法が生まれて、この技法で作られて、この技法で出来たものが使われた、その過程の「用」から生まれた美しさではないだろうか。

 印刷店が刷る印刷にナンバリングは要らない、「柴田印刷」という版画への向き合い方は、僕にとっては何か安心できる、ごく自然な方法であるように思えたことだった。

 
by t-h-arch | 2015-02-07 18:32 | 木工

北さんの来訪。

 大学の同級、北島庸行(のぶゆき、通称「北さん」)が来る。
 たくさんの手土産を頂いたが、その一部、北さん栽培のレモンとライム。
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 奈良・正倉院展も見て来た由、「柿の葉寿司」も頂く。
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 なんだか貰ってばかり、「カヌレ」
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 付知に来たいと電話があったのが火曜日、レスポンスの早さには理由があろうと思ったが、先ずは家族といっしょに普通のご飯を食べ、懐かしい話や北島家の近況を聞き、工房に場所を移す。
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 北さんが付知に居たのが15年前、ちょうど「すや西木」を計画中のことで、杣工房先代に弟子入りしたいと言う北さんに先代は「時期が時期だから、木工の技術は教えて居られない、が、木工をやり続けるのであれば、これだけの材料を手配することを傍観し、経験するのは悪いことではない」というようなことを言って、期間限定で弟子入りということになった。 
 僕と北さんは一緒に模型を作り、原木を1本1本転がしては見て形状を一覧表にし、製材の鼻押しと鼻取りをし、角材や板を積み、運び、週末には北さんの下宿で途中から入門してきた僕の弟子も一緒に夕飯を山ほど作って信じられない程食べた。 
 木と文字通り挌闘するような毎日はあっという間で、材の段取りがほぼ着く頃に年期が訪れ、北さんは独立して丹波篠山に工房を構え、僕は「すや西木」の工事監理と大工・木工仕事に忙殺され、久しぶりに出会えて少しだけ近況を話せたのは「すや西木」の竣工パーティのほんの少しの時間だった。  その後、淡路島に居を構えることになった北さんの新築の手伝いをさせてもらい、何度か淡路に出向いて作品を目にしたり、北さんが材料を買いに付知の工房へやって来たりはしたが、具体的に何かを言い合うとかは余り無かった記憶しか無い。
 
 北さんが、夜が更ける時間からゆっくり話し始めたのは、自分の作るものについてのこと。
 木材の生産が余り盛んではない淡路島で、10数年間お客さんの要望に応えるべく、丁寧で緻密な仕事を繰り返して来た、その先に目指すもの、これからやりたいことについて北さんは話してくれた。
 具体的なことは割愛するが、北さんがやりたいことを考えるのに、木工のキャリアの最初の土地である付知を場所として選んでくれたことは嬉しかったし、考えた方向にとても安心した気持ちになれたのは快適なことだった。 

 翌朝、遅めに起きようと言っていたのに、僕が目覚めた時にはすでに子供達と「ひつじのショーン」を真剣に見ていた北さん。
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 坊主は北さんの「仏式巡洋機」が気になって仕方無い、記念撮影を数枚撮る。
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 食事を済ませて先代のお墓参りをしてくれる。淡路はお線香の名産地、北さん持参のお線香のいい香りが墓地を包む。
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 工房で、洋銑や和銑などの工具、色々な砥石などを試す。
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 すやの工事の頃毎日通った土場にて丸太の下見。やりたい仕事に対する想像を掻き起こすには、想い出の場所も一役か、、。
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 温泉で昨夜からの疲れを落とし、夕飯が済むと、子供の相手をしてくれる。いいパパっぷりが伺え、子供も大喜び、子供が嬉しいのは真剣に勝負してくる無邪気さ(幼稚さ?)(昔からそう?)が要因か、、?
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 余りの容赦無しのカードさばき(弟子も同様であった!)に負けが込み、半泣き状態に陥った坊主も、甘党の北さん歓迎のケーキを食べるときは北さんの隣。明日帰ると知るとまた半泣き(呆れたことに娘もチョイ泣き)。
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 翌日は建築のセミナーの方が工房に来られることもあって、北さんも参加すべしで工房の掃除などを手伝って呉れる。
 午后一番のお客さんに備えて工房でお握りの早昼。
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 お客さんの前に記念撮影。坊主はチョイうる(苦笑)。
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 楽しい3日間でした、北さんありがとう、今度は淡路に行かなきゃなぁ。作りたい木工もじっくり、慌てず、でも時間を大事に、進めていきましょう!



 
 
by t-h-arch | 2012-11-11 22:39 | 木工

「ツナガル ベンチ」

 つながるベンチをつなげる計画が進み始めました。 まだまだ準備段階ですが、、、。
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 つながるベンチに関するブログも作りました http://tsunaben.exblog.jp/
 これから順次、計画を進めて行く状況などを載せていきたいと思っています。

 具体的なことはそちらに載せますが、つながるベンチをたくさん用意して、つなげるのに参加して下さるメンバーを募り、来年または再来年の「森林の市(「もりのいち」、毎年G.Wに付知の道の駅で行われる木のイベント)」で参加者の皆さんと一緒に繋げ、開場の一部として来場者に見てもらったり、そこに坐って休んでもらったりして、イベント終了後はお持ち帰り頂いて使ってもらう、という企画です。そして更に、それを継続して数がまとまれば、ギネスブックにも挑戦してみようかと、、、。

 御意見、ご賛同を頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。
by t-h-arch | 2012-09-30 07:55 | 木工

納品行。

 名古屋まで座卓の納品。日曜の納品なので弟子は学校で不在、猫の手でもあればまし、でヨメと子供を連れて行くことにする。
 お客様は「すや」さんの御紹介、「すや西木」の甘味処「榧」のテーブルを気に入って下さり、それを座卓に設えたものを作らせて頂いた。
 朝一番の「すや」に寄り、手土産は「栗きんとん」。
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 これから出掛けて行くのに、はや水遊び。
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 「榧」は午前中で満席状態、有り難いことです。
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 笠寺観音のすぐ近く、お客様宅は前庭の付いた和風一戸建て、お邪魔すると、クーラーが入ってるのに、窓は開け放し、家具にはとてもいい環境と住まわれ方で何だかほっとする。
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 納品するやいなや、早速お茶を並べて下さり、「さぁさぁ、食べて、もううちの机だから」と言われるお客様、こういうお客様に使われる家具は幸せだと思う。

 お暇をし、せっかくだから笠寺観音にお参りする。
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 子供達はお堀の亀に夢中。
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 試験間近の弟子に合格祈願のお守りを買いに行く姉弟。
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 昼食は門前の商店街のうどん屋さん。
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 娘は「冷やおろしうどん」
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 僕は「ざるそば」
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 坊主はガッツり「カレーライス」
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 ヨメは「きしめん」
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 古くからの門前町はなかなか興味深い、こんな店も。
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 観音様の外トイレも何とも言えない感じ。
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 すこし街に戻ってお茶を飲んで、帰路に着きました。
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by t-h-arch | 2012-09-28 23:15 | 木工

本家のお社。

 過日竣工した本家の亡くなったお祖母さんは島根のご出身、嫁いで来られた折に、故郷を離れる娘を心配されたご親族が神様を託して来られた。
 旧本家解体前は母屋裏側のお社に祭られていたが、母屋建替えとともに移設の運びとなり、ついでにお社も新しくしようかと話していた。
 
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 弟子の手でこんなやさしい(小さい、の方言)お社が出来た。
 出雲の神様は気に入って呉れるだろうか、、。

 
by t-h-arch | 2012-07-26 22:47 | 木工

子供用椅子。

 お祝い用に注文頂いた、子供用椅子。
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 完成。
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 この椅子は工房で昔から使っている自家製スツールのバリエイション、スツールは背もたれが無く脚の長さは全て短い。 
 ミズメで組まれ、アセンで塗装されていたものの材料を栗に変え、背もたれも平に木を使うようにした。

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杣工房の椅子らしい木取りは弟子による、今回は少しホメねばなるまい。
by t-h-arch | 2012-07-18 20:40 | 木工

つながるベンチ、その2。

 つながるベンチを屋外で撮影してみた。
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by t-h-arch | 2012-07-11 20:57 | 木工