10年ぶりの茶杓。

 弟子が桜餅をつくってくれた。 最近、世話になったひと、知り合ったひとへ持ってゆくのだという。 配達から戻ったら一服点てようと言うと、了解して出て行った。

 お茶の用意、割れ盆はご愛嬌。
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 茶杓は、割り損ないの割り箸のようだ。
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 が、これには訳があって、それが今日の一服をお膳立てしている。

 弟子が入店したての頃、製陶を営む実家の窯での展示会で、母上がお客様をもてなす茶菓に桜餅をつくったのだと言って、その材料をお裾分けしてもらい、桜餅を作ってきた。
 せっかくだから一服やろうと僕は湯を沸かし、兄弟子は割れ盆を用意をして、杣工房先代に声をかけると、準備の景色を一目見て、先代は階下の工作場へ降り、松の杓を数分で削って来た。
 当時、先代は旧い師である故・黒田辰秋氏の遺材を引取った銘木店からの紹介で、その遺材を使い、松や欅の小木工を作っていた。この時は枯れた肥松で盆を掘って居て、木取りをした切れ端を茶杓に削ってきたのだった。
 場所にも慣れない、工具にも慣れない孫弟子が、せめて茶菓を捻ってきたことに対する嬉しさを、自身が即興で茶道具を削ることで表現したのだろう、茶を掬うどころか、付着する茶が勿体ない程の荒れた肌合いの茶杓であったが、皆でそのフォルムを講評し、先代が銘をつけて弟子に茶菓の礼に贈呈したのは憶えているが、銘は忘れてしまった。確か、師弟関係をあらわす言葉だったと思うが定かでない。

 今日、正直僕は半ば忘れていて、この杓を弟子が持って来ているとは思いもしなかったのだが、10年ぶり程にその茶杓を拝見し、また弟子の桜餅を食べることになった。
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 あいかわらず荒いままの杓。
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 弟子の茶を僕が点てる。
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 弟子の手前。
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 弟子が入店する際、女性の弟子を断ろうとする僕に、入店させるようすすめたのは先代だった。
 性別に関わり無く人柄を見たのかどうかは判らない、僕に叱られ、怒鳴られする弟子に、幾ばくか責任を感じていたのか、桜餅の駄茶会の時の先代は本当に嬉しそうで、偶然の重なりが茶の時を生むのだと僕の弟子達に熱っぽく話していたのを思い出す。

 忘れたことに気付くと、やたらと銘が何だったかが気になり出した、師・黒田の遺材のそのまた残りを、息子の弟子のご褒美の為に使う、というようなことだったが、なんだったっけ?
 当の弟子本人は「まぁ、今の姿を謙之輔さんにみてもらいたいですねぇー」などと陽気に言い、一服は終了となった。
 
by t-h-arch | 2014-04-12 23:46 | 日常
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