koike drumsのこと.3

 ブランド名などと言って浮かれているが、こう無邪気に頼まれると少しはカタチにしてみたくなるのが悪いクセで、、。

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 ヒデくんは発案当初から、5月の連休に付知で毎年行なわれる、木のお祭り「つけち森林(もり)の市」で、ドラムを展示したいと言っていた。
 ただ展示だけじゃつまらないから、ストリートでもいいからジャズくらいのあまりうるさく無い音楽を少し演奏してみたらどうだろう、ブースは杣工房と「ツナガルベンチ」の場所を使えば良いから、と言ってみると、まんざらでもない様子。

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 ヒデくんはいつもはロックバンドでドラムを叩いている一方で、吹奏部出身ということもあり消防音楽隊でのパーカッションとしても演奏をしている、以前から杣工房の展示室兼ライブ小屋「かいがし」でのジャズ・ライブにも脚を運んでもらっていた。ジャズやってみたくない?と聞くと「やりたい!」と言うので、「かいがし」の音楽プロデューサー、原正秀さんに相談に行ってみた。

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 仕事中の原さんを訪ね、お祭りで少し演奏したいんだが、手伝ってもらえないか頼むと「いいよ」と返事が。
 「もう使いどころの無いオレだけど、役に立てるなら笑」と嬉しい言葉も。
 早速、スネアだけが完成したkoike drumsを「かいがし」に持込み、休日の午前中に原さんに相手をして貰う。
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 まだ企画中なのにも関わらず、既に自然発生した応援隊が駆けつけてくれ、ピクニックさながらの雰囲気で、原さんとヒデくんの練習を見守ってくれる。
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 練習は、原さんのベースをヒデくんが追う感じ、「ツクタ、ツクタ、、」というリズムの繰り返しやハイハットの切れを何度も指摘される。

 原さんが、レクチュアの最後に「ヒデくんはいつもはどんなのを演奏してるの?」と聞き、「ファンクっぽいロックが好きです」と言うと「ちょっと叩いてみてよ」と仰る。
 ヒデくんが叩くと、原さんがベースで入り、ちょっとしたセッションになる。これがいい感じで、段々とヒデくんの顔もほころび、聴いている人達も顔を見合わせている。

 「なんか、うまくいくんじゃないの?」と練習を終えて原さんが言った。こんな感じのセッションが木のお祭りの片隅で鳴っていたら気持ちいいだろうなぁと僕も思った。


 
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 遅れて塗装屋さんに入っていたバスドラムやタムも順番に出来てきた。
 塗装を頼まれている「㈲内木木工所」の若社長(兼・職人)、ゆうじくんも段々とコトがヒデくんの趣味の域を脱してきたのが伝わったのか、工房に来るようになった。
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 ヒデくんが「ジョイントを強くしたスネアを作りたい」と言って工房に来た。
 練習の際に、原さんに「楽器はなによりも強度が大切」と繰り返し言われていたのを気にしたのかな、と考えていたら、スネア1台分の材料を渡され、「泰輔くん、これを「雇い実(やといざね」で貼付けるようにしてよ」とかなり上から目線でオーダーされた。
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 「つけち森林の市」も近づき、お祭りの実行委員会でkoike drumsの企画書を配布してみた。
 木のお祭りにふさわしい、地元の若い人達が協力してつくっているものだから、ストリートで演奏とかするけど、色々融通して、皆さんに御理解・ご協力を、と求めると他の実行委員からは良さげな反応が、、、。
 よしよしと思っていると、日頃お世話になっている、お祭りの実行委員会長の地区商工会支部長とお祭りの事務局を担当する商工会職員さんから「ちょっと、、」と呼ばれ、「koike druns、ステージでやらないか?」と言われる。聞けば、ステージのアトラクションが一部空いているのだと言う。それは願っても無い、おまけにお祭りの司会は懇意にしている岐阜のFM局のパーソナリティ達、礼を言ってすぐにヒデくんやゆうじくん、原さんに連絡をする。

 FM局のパーソナリティ達は協力を頼むと二つ返事でO.K、「 FM GIFU」の久世良輔くん、志津利弘くんは2013、2014年の「つけち森林の市」で「ツナガルベンチ」イベントを盛上げてくれた言わば戦友、久世くんは前乗りして付知に入り前夜から盛上げて行こうと言ってくれる。

 原さんは「おおごとになったな笑」と言いながらもタイムテーブルに合わせて選曲し、楽譜を用意してくれる。加えて、知り合いの女性ピアニストを呼んでトリオで演奏できるように段取りをしてくれた。

 ヒデくんはひとり汗をかき、「まいったな、、、」などと言っている。

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 ステージ企画はライブだけでは無く、M.Cを取り込んで、koike drumsの製作がどう起きてどう進んで来たかをトークショー形式でライブの合間に交ぜることになった。メンバーは司会の久世・志津両氏と、ヒデくん、ゆうじくん、弟子、+ 演奏をしてくれる原さん達にもコメントをいただくことになった。
 ゆうじくんが工房に来て「どうやってヒデを盛上げたらいいすか!」と言うので、ヒデくんをいつも庇いながら製作の助手をしている弟子と3人で、今回は地域を盛上げようとしている若い人を取り上げてもらってインタビューしてもらって、という企画では無いんだよ、自分達が作ったものを積極的にPRするんだよ、だから照れや謙遜は要らない、なにをヒデくんが作りたくてその過程でのサポートする自分達の感触はどうだったか、素直に言えばいいんじゃないか、と話しをする。
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 演奏がステージで、トリオで、と変更されたので、これはヤバいということで、原さんの友人のピアニスト・桂川知佐子さんに無理を言って練習をもう一度することにした。

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初めてフルセット揃ったkoike drums、スネア以外は椹(さわら)製。

 原さんの選曲はカーペンターズの「シング」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」、「酒とバラの日々」の3曲。 原さん秘蔵のローズ・ピアノを弾けると桂川さんも楽しみにして来て下さった。
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 ヒデくんの物怖じしない(図々しい、アツカマしい、etc)性分が練習を楽しくしている、判らないことは間を考えずに聞き、教わったことは素直に取り入れる、モタモタなフォー・バースも微笑ましく、ドラムは大きな音で鳴っていた。
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 お祭り前日の夜、ゆうじくんと弟子がバスドラムにkoike drumsのロゴを作って貼ってくれ、ヒデくんは仕切りに「かっこいいなぁ、このドラム」と言っていた。
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 ライブはお祭りの2日目。初日は展示と試し打ちのみで、ヒデくんの友人や近隣ドラマーが寄ってくれる。 皆さん、まずはちゃんと鳴るのか心配して来て下さった感が強く、「ちゃんと鳴るじゃないか、それも意外といい音じゃないか!」とちょっと余分に評価してくれたようだった。

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 叩いてもらっていると色々な反応が来る、中でも乳児・幼児からの反応は面白かった
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 2日目、あいにくの雨だったが、ライブ開始時刻には小止みに。
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 写真を撮り忘れたが、予定通りにライブ、トークは進み、会場からの飛び入り参加も盛況、参加者の皆さんと原さん・桂川さんとのセッションもその場をおおいに盛上げてくれた。
ゆうじくんは「世界のkoike drumsに!」と志を語って呉れ、会場は沸いた。

 遠く、東京、埼玉、山梨、大阪、尼崎などから、家族ぐるみでこのライブをわざわざ見に来てくれた人達がいた。みんな昨年、一昨年の「ツナガルベンチ」の参加者だった。

 ドラムを作りたいという思いが、多くの共感を生み、こうしてその出発をたくさんのひとに見て頂けたのは、ヒデくんの人柄が、真面目さが、廻りに連鎖していったからだと思う。
 そこにはそれぞれで自分の生活を楽しむひとが居て、教えてくれたり、世話をしてくれたり、茶々をいれてくれたり、励ましてくれた。
 こうした動きを、ぜひ続けて行かなければならない、そんな気持ちが湧いて出てくるような今回の企画だったと思う。

 最後に、今から6年前、アトラクションとして同じ野外ステージで演奏したヒデくんの写真。
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 この時、こんなことを始めるとはお互い思いもしなかった(当時からタメ口はタメ口だったが、、)。生きているものは侮れない、と強く感じたことだった。  

          -----終了-----



 

 

 
# by t-h-arch | 2015-05-25 16:53 | 音楽

koike drumsのこと.2

 椹で作ったスネアの塗装が上がり、皮も張ったと電話が来た。
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 見た目はとても綺麗な印象、叩いてもらうと意外に大きな音が出て好感が持てる、が、スナッピー(スネアドラム下部の螺旋の細い鉄線)が悪いのか妙に響いてちょっと気になる、スナッピーだけでなく鳴り方もボヨボヨとした感じが少しする。
 何度も聴くうちに普通のスネアと比べて、構造的には問題が無い、材料を替えてみようという話になり、広葉樹はどうだろうと言うことで欅のスネアを作ってみることにした。


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 欅のスネアが出来た。
 材料は少し厚め、広葉樹ならではの変形を考えて余り薄く出来なかった。
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 叩いてみると、椹に比べてパチンとした音が出る、単純な2人組は「こりゃいいぞ!」と調子に乗った。
 2種類作ってみると他の材料でも、と欲が出て来る、色々話しているうちにやはりここは官材(国有林材=樹齢が古いもの)で作らなくちゃ!ということになる。

 檜のスネア(木地)。
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 目方は軽い、檜の官材は目の詰まったものが経年変化すると、針葉樹らしさが少し失われてサクラに似た堅さや表面の硬化が見られることがある、それをヒデくんに話すと、「うん、、、わかる」と頷く。
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 これはまた興味深いぞと言っていると、広葉樹系製材所の親分や、ガレージ社長が次々訪れ、興味を示して呉れる、どなたも最後には「お前らアホやなぁー(笑)」と言って帰って行くのだったが、、、。
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 「泰輔くん(いつもタメ口)、そろそろ宣伝のことも考えてよ、、」とヒデくんが言い始めた。
 まずは鳴らして、他の楽器とセッションでもしてみないとなぁ、と言うと、「それよりブランド名を考えんと、、、」と言うので、小池ドラムでいいやろ、と言うと、意外に乗り気になって「小池ドラムス!、、いいねぇ!、小池ドラムスで行こう!」と簡単に決まってしまった。

  -----その3に続く------

 


 
# by t-h-arch | 2015-05-19 23:54 | 音楽

koike drumsのこと.1

 年初に、工房の下の製材所の息子が、「大きいコンパスを貸してくれ」と言って来た。
 なにに使うの?と聞くと、「ドラムを作ろうと思って」と言う。

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 製材所の息子「ヒデくん」は、桶を作る会社に修行に行き、数年前に親の経営する製材所に戻って来た、その桶を作る方法で、地元材でドラムのボディを作りたいと前から相談を受けていたので、とりあえず、ゴニョゴニョ言っていることを聞いてコンパスを貸し、言う通りに型板のようなものを作って渡した。

 次に工房に来た時に、作った桶状のものを持って来た。

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 ヒデくん宅は旧くは公営の下駄工場で、木曽五木と呼ばれる桧や椹などは得意の材料。
その中でも渋い存在の椹(さわら)を使ってスネアドラムのボディを作ったのだが、そのきれいさに見とれてしまった。 

「いいなぁ、、、」と言うと、「いいらぁ、、、」と言い、思わず2人で大笑いした。
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 「泰輔くん(ヒデくんはずっとタメ口)、一緒にドラム作ろうよ」と言われたので、よしよしこれなら協力する作って聴いてもらおう、と乗り気になってしまった。

 桶の作り方は円弧を板に抜いた定規を使って部材を円形になるように削っていく、理屈は円弧の定規に内接するように部材を削り合わせれば円形になるというもの、ドラムは桶と違って転ばせない(底側の円周を蓋側の円周より縮めない)からシンプルな工程で部材が作れる。
 厳密に正円では無いのだが、昔の漬物桶はその辺りファジーだしドラムの皮を張るにもそんなに問題は無い、それよりもそのアバウトな感覚で作った桶型ドラムはどんな音になるのだろうか興味があった。桶は部材が縦方向なので、プライ・ウッドやプラスチック製とは明らかに違う音になることもなんとなく想像ができた。

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 作り始めると、色々迷いも出て来る、ヒデくんはほぼ毎夕工房を訪れ、部材の厚みや皮を張る面の巾やテーパーの角度などを工房の工具を使って調整したり、貼り合わせの糊や精度を確かめたりしていたが、最後はほとんどコーヒーを飲みながらyoutubeで、Led zeppelinやSteve gaddを見て、「いいなぁー」と悦に入って、ヒデくんの奥さんが遅いので心配して電話して来ると「今、泰輔くんとこで会議中」などと嘯いていた。
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 ---その.2に続く----
# by t-h-arch | 2015-05-19 23:24 | 音楽

黒田征太郎と杣工房 その3

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 「SWITCHやcoyoteという雑誌を出している新井さんという方が工房を訪ねるから、件の「木のオモチャ」を見せてくれないか」という電話が黒田征太郎さんからあった。
 了解しましたと返事をし、電話が切れると5分もしないうちにまた電話が鳴り、「オレも付知へ行くよ」と言われる。

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 当時オモチャを丁寧に梱包して呉れたのは絵描きが終了した時に同行してくれていたK2大阪のスタッフさん。そのオモチャ達を倉庫から掘り出し、工房に並べて新井さん、黒田さんを待つことにした。

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お二人を迎えてまずは中津川・「すや西木」へ、久しぶりの襖絵を眺めて頂いてから甘味処「榧」へ、外出されていた「すや」社長も急遽戻って来て下さり甘味をご馳走して頂いた。
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 黒田さんが付知に来られるのは先代の急な、慌ただしい葬儀以来。
 昔付知に訪れた際の道すがらの景色の思い出などを話しながら工房へ着く。

 
 オモチャを眺め、新井さんにコトの起こりを説明しながら、新しく作っておいた木片に絵を描く黒田さん。
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 先代が猫可愛がりしていた僕の娘に10数年前に下さったネコのオモチャに、新たに絵を描き加える。
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新井さんは作業をずっと眺めていらしたが、顛末を知り、実際の製作を見て、いつかこのオモチャをまた新たに作り、紙面で連載しようと持ちかけてくださった。


 休憩してお茶を飲みながら話題が弟子に向いたので、盆を彫っているのだがまだまだで、と失敗した盆をみせると、「これに、描いてもいいですか?」と言われる。
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小さなライブ・ペイントは最後に先代の肖像になり、弟子は感無量な様子、見学に来ていた僕の若い友人達にもこのライブ・ペイントは何かを与えたようで、完成と同時に溜息が聞こえた。
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 杣工房の川東展示室「かいがし」にも案内し、旧い先代の作品や個展の看板を黒田さんが書いて下さったものを懐かしく見てもらった。 
 「かいがし」を出る時、真直ぐ僕を見て「泰輔、ここを作ってくれてありがとう、謙之輔さんに替わって礼を言うよ」と言われる。ああ、そういう関係だったな2人は、と改めて思い出した、黒田さんのその他人行儀さがとても快適に感じられた。
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 夜は「とこわか」で、常温の「三千櫻」を皆コップで呑み、昔話から最近のドラマー中村達也氏とのライブ・ペイントの話しなどを伺う。黒田さんはご機嫌で、しきりに「泰輔、紹介してやるから「吉本新喜劇」に行け!」と言われる。
 話しは尽きず閉店時間を大幅に廻ってから時間に気付いたが、「とこわか」主人は、昔から「とこわか」の母体の旅館「上見屋」の門限破りの常連・黒田さんのことをよく知っていて、にこにこ笑って見ていてくれた。
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 翌朝、黒田さん来訪を知って幾人かの来客もあり、慌ただしくも楽しい時間を過ごし、黒田さんをお見送りする。
 また、ひさしぶりに黒田さんとの時間が動き出した感じがする、先代からのお付き合いに新しいことが加わるのはとても嬉しい。
 新井さん、伊原さん、そして黒田さん、ありがとうございます!

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# by t-h-arch | 2015-05-18 14:45 | 木工

黒田征太郎と杣工房 その2

 僕が小さい頃、我が家を訪れる黒田征太郎さんは、その風貌とは反して「紳士」だった。
子供に対してもほぼ敬語に近い言葉で自分の仕事のことまでも話して呉れ、何に関しても礼儀が正しく、小さなことを気にしなかった。
 黒田さんがテレビ・コマーシャルに出演しているのを見た時に、何かしら違和感の様なものを感じたので、次に会った時にどうしてテレビに出たの?と聞いてみたら、「あるひとがしたいことがあって、その為にお金が必要だったんです、テレビに出ると恥ずかしいけどその恥ずかしさの分だけたくさんお金が貰えるんです」と返事されて大いに納得した憶えがある。

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 小学校の夏休みの工作で作った新幹線の絵の入った稚拙な額縁を黒田さんが見つけ、手放しに褒めて呉れた。黒田さんは絵描きなのにと謙遜すると「僕は絵を描いて食べてますが、きっと謙之輔さんは僕が描いた絵なんかよりずっと泰輔の絵の方がうれしいんだよ、僕は食べる為に色々と考えて絵を描いているけど、泰輔達子供は自分の描きたいものを自然に描く、親にとってはそれが最高の絵でそれ以外は要らないくらいなんだ、僕は子供が最大のライバルです、もっと絵を描くことがうまくなって、子供の絵のような絵を描きたい、いや描けないなら何が出来るかを考えます」と真剣に言われた。その言葉もとても「確からしい」言葉だった。

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 先代が東京で個展をする時には、黒田さんは相棒の長友啓典さんと花を届けて下さり、会場に脚を運んで呉れ、父親を褒める言葉をかけて呉れた。 東京での黒田さんは「業界のひと」だったが、話しかけてくれる口調はいつものままで、慣れない街に居る僕にとっては救いのような気がした。

 大学に入り東京へ出ると、黒田さんは先代に僕に遊びにくるよう伝えて呉れ、繁華街にある事務所にお邪魔するようになった。黒田さんは居たり居なかったりだったが、居ればやっている仕事の説明をしてくれ、僕が建築を勉強していたので、壁画の話しやコンストラクションの仕事の進め方の話しをしてくれた。酒を少し飲むこともあり、著名人がふらっと寄られたり、目の前で仕事が決まったり、刺激的なことを多く見聞きした。

 ある日曜に都内の通りを歩いていたら偶然黒田さんにお会いした。お互い買い物をしていたので、何を買ったの?などと話して別れようとしたら、黒田さんが思いついたように「泰輔、仕事手伝わない?」と言って呉れた。「事務所に電話してくれたら判るようにしておくから」と言われ、そのように現場に向かい、手描きポスターやショウ・ウインドウのディスプレイなどの助手や雑用をした。

 最初の手描きポスターの仕事は墨のひとふでで黒田さんが描いたものを墨が乾いたあとでクレヨンで色や模様を描いていくというもので、狭いスタジオで墨描きされたポスターを乾かす為に拡げ、他の利用者さんに平謝りしながらも図々しくよそのスペースにも拡げ、乾きのよいものから集めて色入れの準備をし、色が入ったものを養生するといった工程、用紙の引きが遅いとギロっと睨まれ、早く引き過ぎると睨まれ、乾きが間に合わず手が空くと「完全に乾いてなくてもいいんだよ!」と叱られ、閉鎖されたスタジオの中でどれだけ時間が経ったのかも判らないくらいだった。片付けが済んで、事務所に寄ると手描きの絵が描かれた封筒を渡され、中にはアルバイト賃が入っていた。

 ディスプレイの仕事ではショウ・ウインドウに何も入らない額縁を乱雑に撒けと言われたのをどう撒いたらいいのか判らずぐずぐずしていたら突然外部のディレクターチェアに座っていたはずの黒田さんがウインドウ内に現れウインドウを壊すくらいの勢いで額縁を撒き始めた。額縁のガラスが割れ、黒田さんは足にけがをされたが時々止まってはものすごく考えながら額縁を撒き続けた。

 銀行の全国の支店のポスターを手描きするという仕事では黒田さんと長友さんの事務所「K2」のOBの方も応援にいらして、沢田としきさん、村上みどりさんなどと知り合うことが出来た。手描きにも多少慣れ少しは気遣いが出来るかもとK2の芦川さんと2人で色々と工夫をしながら幾日かを手伝ったが相変わらず何かをしては睨まれ、気を遣っては失敗してばかりだった。

 その仕事の後、村上さんが篠原勝之さんの工場に連れていって呉れ、篠原さんの手伝いもさせて頂いた。
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 「クマさん」こと篠原さんはそれは親切に僕をを連れ回してくれて、冗談ぽく「うちにこねぇか」と言われたり、ダッジ・バンの大きいのを買われる時「おめぇ、これを運転出来るか?」などと聞いてくれていた。

 僕は大学の4年生で卒業制作を手がけていた。ちょうどその頃、名古屋駅に大手物販店が東急ハンズのような店舗を開店し、その杮落しの展示に黒田さんがエッチングの個展をすることになり、その版画の額縁を杣工房が引き受けた。額縁の製作の依頼に付知に来られた黒田さんを先代は遠縁の旧家の解体現場に誘い、その解体された廃材となる木で何点にも及ぶ版画の額縁を作ることを提案し黒田さんも賛成し工房のメンバー総掛かりで荒々しい額を作った。黒田さんはその額をとても気に入って呉れ、作品の売り方にもデリケイトな考慮をして下さった。僕も便乗して卒業制作のタイトル図面の額を同じ材で先代に作って貰った。

 卒業制作も終わり、僕は広告関係の就職先をいくつか内定頂いていたが、諸々の事情で京都の工務店に就職することになった。黒田さんにその由を伝えると「泰輔はクマさんとこに行くんじゃなかったの?」と言われ、気にかけて下さっていたことに気付き失礼な自分が悲しかった。黒田さんや篠原さんに対しては半ば逃げるような気持ちで京都へ移り住んだ。

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 京都で仕事に就いて幾月か経った頃、職場の上司に「クロセイさんがライブ・ペイントをするから行かないか」と誘ってもらった。黒田さんとのことは上司に話をしていたので気を遣ってくれたのかもしれない、仕事が終わり大急ぎで大津の会場に入り、既に始まっていたライブ・ペイントを見ていたら、環境の変化や仕事社会の厳しさにへこたれていた自分の中で、何かが浄化されるような気持ちになり嬉しかったのを憶えている。   
 ライブが終わり会場から出ようとしていたらステージ袖から黒田さんが出て来られ「自分!!泰輔!来てたの判ってたよ!」と声を掛けて呉れた。上司を紹介し、連れて来て貰った由を話し、黒田さんにも大阪の事務所へ遊びに来いと言って頂いた。


 大工の小僧の期間があっというまに終わる頃、たまたま帰郷すると先代が「レリーフを彫りたい」と言った。 「頼まれている百貨店での個展に、竹取物語か不思議の国のアリスのような童話をスライド・ショーのような何枚かの平面彫刻にして出したい」とのことだった。
「絵は黒田さんが描いてくれる、お前は板に合わせてどの場面を何枚の絵にするか決めて、黒田さんに提示するコンテを作ってくれ」と言われ、コンテを書いて黒田さんに送った、制作の過程が気になったので、しばしば付知に帰り、少し手伝ったり展示方法を話し合ったりした。
 名古屋での個展には僕の親方も出向いて呉れ、おかしなレリーフを眺め、百貨店の重役方に先代をプッシュして呉れた。

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 アリスのレリーフもまた「どこかの公園のベンチにでもしたいですねぇ、、」などと話したきりで梱包されて倉庫に仕舞われることになった。





 その後、中津川の老菓子舗「すや」の支店を建てたときも、黒田さんに売場と勘定場を仕切る大襖に、栗の木の絵を描いて頂いた。

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 「すや」竣工後も色々と大工事の片付けや後の仕舞いがあって、一、二年は工房がバタバタしていただろうか、それが落ち着いた頃に黒田さんは日本を離れアメリカに行ってしまっていた。


     ---続く---
# by t-h-arch | 2015-04-25 22:47 | 木工